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千葉県浦安市に事務所を構える松原設計室さんは、東京をはじめ全国で評判の数寄屋建築を手掛ける設計事務所です。
今回は、代表の松原和央先生に数寄屋建築を手掛けるようになったきっかけや、数寄屋建築の味わい深さ、設計にかける想いについてお話を伺いました。
数寄屋建築を愛されている方、数寄屋建築の設計をご希望の方はぜひご覧ください。
10代から数寄屋建築の魅力に惹かれ、伝承技の残る職人の集る世界へ
インタビュー中の写真。松原先生が腰掛けているのは茶室のカウンターです。
スタッフ
まずは松原先生が建築のお仕事を選ばれたきっかけを教えてください。
松原先生
私が建築士を目指したきっかけは、家の歴史にまで遡るかもしれません。
両親が質屋を営んでいたので、店には古物が溢れ、庭には観音様を奥に置いた池がありました。また、近所には
武蔵一宮氷川神社という大きな神社があったので、年中行事のお祭が盛んな土地柄でもあったんです。
スタッフ
幼い頃から日本の古き良き伝統に触れられてきたんですね。
松原先生
そうですね。建築には高校生くらいになって自然と興味を持つようになりました。
手に取った建築の本には、海外の有名な建築家たちの作品がたくさん載っていましたが、中でもフランク・ロイド・ライトの建築が目に留まるようになったんです。
スタッフ
フランク・ロイド・ライト、近代建築の巨匠の一人として数えられるアメリカの建築家ですよね。
松原先生
そう、日本では旧帝国ホテルの設計もしていますね。
実は、ライトの建築は日本建築をかなり意識しているんです。
例えば、切妻屋根や寄棟屋根の構造を取り入れていたり、長いひさしの下に陰ができるような、陰影のある外観を持った建物をつくっていたりね。それが「日本建築」そのものだと感じたんです。
スタッフ
すごい!海外の建築家が手掛けた建物に日本建築の要素を感じられたのですね。
松原先生
はい。その気付きがきっかけとなって幼い頃の感覚が回帰してきましてね。
それからは和風建築に興味を持つようになって、その中でも特に数寄屋建築に惹かれるようになりました。
スタッフ
松原先生
そうですね。ただ、残念ながら大学では近代建築を教えるだけで、数寄屋建築は教えていないことがわかったんです。
ではどこでと悩んだ末、深川木場辺に高級工務店が集まり、専門に数寄屋住宅・料亭を手掛けていることを知り、そこで当時東京で一番高価な数寄屋建築を手掛けていると評判だった石間工務店を訪ねました。
スタッフ
松原先生
はい。初めの応対では「工事部なら」と言われたので、強く設計志望を訴え、「そこまで好きならいいだろう」と設計部に入れてもらえたのがこの道の始まりでした。
松原先生
始めの5年間はひたすら先輩の下で見習としての修業を積む日々でした。
現場と設計部を行ったり来たりして、現場では職人さんの仕事を見ながら質問を浴びせて学び、設計部へ戻れば先輩に指示された図面を描くのですが、描き方の約束ごとがわからないので、古い図面を参考に引出してはパターンを考えて掴んでいく、そういうやり方で一つずつ学んでいきました。
今も「数寄屋の精神」を学び深めつつ設計を手掛ける
スタッフ
石間工務店さんには実に25年もの間お勤めされ、その後独立されたと伺いました。
そのときに学ばれたことで、今に生きていることを教えてください。
松原先生
面白いことにね、石間が何かを教えてくれたということは無いんですよ。
ただ、数寄屋建築を手掛けるための本当に基礎の部分、石間の好む設計の傾向や「建物の上品さとはどういうものか」といった感覚的な部分は培わせてもらいました。
あとは全て自分で見聞きして覚えて、自分の好みを足していったんです。
スタッフ
松原先生
そうですね。何年もかけて自分のものにしていったことがたくさんあります。
例えば、関東と関西では廊下境の欄間(らんま)の見せ方に違いがあって、夏場関東では欄間に紙貼障子を見せ、下だけ簀戸(すど)にしますが、関西では欄間も簀戸にします。
この違いの理由を先輩に尋ねても「昔からこうだから」と、「これが江戸前だよ」と言うのみで、誰も明確な答えを言う人はいませんでした。
松原先生
後々になって考えて分ることですが、京都の夏は非常に暑いんですよね。そこで見た目にもなるべく涼しいつくりにしているのが京都の数寄屋の建前※なんです。
江戸には「壁の多い座敷は、数寄屋ではない」という考え方がある一方で「壁の少ない座敷は痩せて見えて良くない」という考え方もありました。これは石間での原則としてその都度学んだことの一つです。
※建前とは、建物を建てるときの前提方針のこと。
松原先生
要するに、壁と空間とのバランスで数寄屋はできているということです。
欄間まで簀戸にしてしまうと間が空きすぎて軽くなり、落ち着かない印象になってしまうので、障子のままとすることで座敷の見え方のバランスを取っているんですよ。
スタッフ
なるほど。欄間の様式の違いにも数寄屋建築の美しさを裏打ちする深い理由があったのですね。
松原先生
このように、数寄屋建築に関しては今でも新たな発見があります。
以前、奈良にある
出雲建雄(いずもたけお)神社の拝殿を見たときのことです。
その拝殿が今の姿になったのは室町時代だそうですが、雨あがりの屋根は水を充分吸って檜皮葺(ひわだぶき)がすごく重そうなのに、柱は非常に細く華奢で、まさに
数寄屋建築そのものだったんです。
スタッフ
室町時代の建築ですか。
松原先生のお話では、いわゆる「数寄屋建築」が今のような形に完成したのは江戸時代だということでしたよね。
松原先生
そうですが、私のHPの「
数寄屋の歴史」にも書いたように、数寄屋の感覚は奈良の昔からありました。
また、この出雲建雄神社の拝殿は、「拝殿」の資材なのでヒノキが使われています。
ヒノキはかんなをかけるとツルツルになって暗闇の中でも真っ白に光るほど主張の強い木質なんです。だから昔から、ヒノキはスギと比べて
肩肘張るような、威張っているような建築に使うものだったんですよ。
松原先生
でもそうした使い方は数寄屋から言わせると品がないんです、これ見よがしでね。
ヒノキ建築は建物自体もなるべく立派に見せるために、なるべく面をとらず柱の太さを強調してつくります。ところが、同じヒノキを使っても出雲武雄神社の拝殿は、たださえ細い柱の四方にしっかりと1cmくらいの面を取っていた。これが柱だけでも「数寄屋」を感じさせている要因だったんです。
スタッフ
日本では室町時代、そしてそれより以前から「数寄屋の精神」が大切にされてきたということですね。
松原先生
そうなんです。特に関西には歴史のある分、その感覚が残っている。
今でもそれを発見できると嬉しいですよね。
「心安らげる場所」を備えた建築を手掛けたい
スタッフ
最後に、松原先生が設計をする上で一番大切にされていることを教えてください。
松原先生
人が数寄屋の建物に求めるものは、フランク・ロイド・ライトが大切にしている「シェルター」という考えに似ていると思うんです。
シェルターとは「逃げ込む場所」、つまり「自分の身が置ける安心できる場所」ということです。
松原先生
ライトの住宅は開放的である一方で、必ず奥まったところに壁に囲まれた暖炉が設けられ、その前にソファーが据えられていたりします。
ソファーに座って背後を見ると開放的に広がる開口になっているけれど、暖炉側にはしっかりと壁があって天井まで閉じられた空間になっている。あれは一種の「数寄屋」だと思うんですよ。
スタッフ
ライトの建築にも数寄屋建築にも、人が静かに安らげる空間があるのですね。
松原先生
その通りです。室町時代、雅楽(ががく)を以って宮廷に仕えた豊原統秋(とよはらのすみあき)という人の歌には「山にても 憂からむときの 隠れ家や みやこの内の 松の下庵」とあります。
松原先生
「自分は宮廷に勤める身で、そうそう山中の気を愉しみに山に行くということもできないが、都にありながらも、奥に入れば松が木陰をつくっていて、その下に囲炉裏のあるような粗末な家でもいいから、そこで休みたいものだな」と、そういう歌です。
スタッフ
松原先生
そう、この歌が数寄屋が完成しつつある時代の標語だったんですよ。まさに、数寄屋を求める人の気持ちを表していたんです。
街の喧騒から離れて、心安らかに、静かに過ごせる場所。そんな場所を実現することが住宅設計をする私の設計目標となっています。
スタッフ
松原先生は数寄屋の精神を深く理解された上で設計されているのですね。
数寄屋建築を求めている方はぜひ一度、松原先生にご相談していただきたいです。
お施主様の声
松原先生(左)とお施主様の野倉さん(右)。リフォームの打ち合わせ時から15年来のお付き合いだそうです。
今回は、以前マンションの一室を「茶室のある呉服屋さん」へとリフォームされたお施主様、野倉幸男さんのお宅にてインタビューを実施させていただきました。
その際に野倉さんにもリフォーム当時のエピソードを伺いましたので、ご紹介します。
スタッフ
松原先生とお知り合いになられたきっかけを教えてください。
野倉さん
リフォームをお願いした工務店さんに「お茶室に詳しい設計士さんだから」と松原先生をご紹介していただきました。
松原先生は私らしいお茶室をつくりたいと、1年くらいかけて一緒にお食事に行ったり、美術館や観劇に行ったりしながら、私がどんな人で、どんなものを持った人かを知った上で、設計をしてくれたんですよ。
スタッフ
では、このお部屋には野倉さんらしさが詰まっているんですね。
野倉さん
そうなんです。例えばこのお茶室は、障子を閉めると普通のお茶室に見えますが、障子を開けるとカウンターが出てきてお食事ができるようになっています。
野倉邸の茶室に設えられた掘りごたつ風カウンター。左手奥に見えているところが茶道口になります。家元からは「これからのお茶室はこれだ」と絶賛されたそう。
野倉さん
これも私が「カウンターをつくって、お茶休めや月見酒を飲みながらお料理を食べたい」と言うのを聞いて、松原先生が「明治時代にそういうお茶室がありました」と当時のお茶室も参考にしながらつくってくれたんです。
スタッフ
素敵です!野倉さんのご要望も、実際にあったお茶室のデザインと照らし合わせながら実現されているんですね。
野倉さん
そうですね。要望というとそれくらいで、後のことはプロである松原先生に全てお任せして、松原先生の好きなようにつくってもらいました。
野倉さん
はじめは私も無知だったので、茶庭に植える木を見に行ったときも、先生が選ぶ木を「裏の山にある木みたいだ」と言ったんです。
すると先生は「松や良い石を入れると立派なお庭に見えるかもしれません。けれどそれは本来の茶庭ではないんです。自然をつくるのが最高です、一番です」と諭してくれたんですよ。
野倉邸の茶庭。簀戸を開けると静かな佇まいのお庭が広がります。
野倉さん
お茶室をつくるときも、先生はスギを使うと言うんです。私が「そんな、お茶室をスギでつくる人なんていない」と言うと、「ヒノキは確かに綺麗です。だから家元はお茶室も大広間であればヒノキでつくることもあるでしょう。でも、スギにはヒノキにはない味があるんです。ヒノキとスギでつくったお茶室を見比べてください、きっと納得しますから」と言うんです。
スタッフ
野倉さん
はい。実際に見てみるとね、まるで違うんですよ。ヒノキは確かにわっと綺麗で本当にいいんだけれど、スギのお茶室は優しくて、品があって、落ち着くんです。このように、私が疑問に思うことも全て納得させながらつくってくれました。
野倉邸のお茶室の一角。
野倉さん
数寄屋造りは設計者のセンスによって全く違うものになります。それは私も他所のお茶室に招かれる度に実感していることです。
松原先生の設計は私に言わせると、繊細・雅(みやび)ですね。家元はその良さがわかるので、ここへ来たときも「これは誰が設計して、どこが施工したの?」と驚いていました。
スタッフ
見る人が見ればわかる、味わい深く繊細なつくりのお茶室なんですね。
野倉さん
そうなんです。
私は講習会に来てくれる若い子たちにも「日本の建築家が手掛けたこのお茶室をよく見ていきなさい」と言っています。
野倉さん
今の時代、社会は「物」で溢れています。でも、心を満たしてくれるのは「物」ではない。私は、本当の意味で心を満たしてくれるのは日本の古典的なものにあると考えています。
今後の人生は、時代を背負っていく若い世代に私たち世代が学んできたことを伝えていくことに懸けていこうと思っています。
スタッフ
素晴らしいエピソードを聞かせてくださり、ありがとうございました。
日本の心や伝統は今の時代にこそ求められているものかもしれませんね。
松原設計室のインタビューまとめ
数寄屋建築を手掛け、今に伝える松原設計室さん。松原先生は「数寄屋の精神」や素材の味わいまでを深く理解した上で、住み手の好み(数寄)に合わせた個性豊かな表現をされている建築家さんです。
日本人がはるか昔から親しみ、愛してきた数寄屋建築。味わい深い「数寄屋」をご希望でしたらぜひ、松原設計室さんを訪ねてみてください。
松原設計室の詳細情報
会社名 |
松原設計室 |
所在地 |
〒279-0001 千葉県浦安市当代島2-4-1 ドミール浦安412 |
代表者名 |
松原和央 |
電話番号 |
047-354-1254 |
営業時間 |
10:00~18:00 |
公式HP |
https://sukiyakenchiku.com/ |
対応する工事 |
住宅の設計 |
対応エリア |
全国 |
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